Ya’aburnee

自由帳

 

「戴きます」

 安いファミレスだろうとどこだろうと、彼女は必ず両手を合わせてハッキリとそう言う人間だった。

 食べ方こそ綺麗とは言い難く、普段も礼儀正しいワケでもない人間だが、決まってその言葉だけは忘れなかった。

「……果て? これはどう食べるべきなのかしら」

 わざとらしく、彼女は首を傾げて私に問う。

「莉奈ちゃんの好きに食べてよ」

「そういうわけにはいかないでしょう、これは私とあなたの最後の食事なのよ。最後の晩餐よ? それを雑に済ませるなんて万死に値するわ」

 一応で用意していたナイフとフォークを置き、彼女は考え込む。

 こうなってしまっては、長くなりそうだ。

「あなたの意見も聞きたいのだけれど」

「美味しく食べてくれれば何でもいいよ? 私は最後にお風呂でも入ってくるから、その間に決めちゃってくれる?」

「茹でるのもありね」

「煮るなり焼くなり、全部任せるよ」

 狭いアパートの数少ないドアを開けて私は浴室に向かう。

 玄関を含めてもこの家にはドアが三つしかない。トイレと浴室と玄関の三つだ。

 大学生の一人暮らしには丁度いいのだろうが、私が頻繁に泊まるようになってからは少し狭く感じているかもしれない。

 だがそれも今日で最後だ。

 この約一年に渡る、私と彼女の友情物語も感動のラストを迎える。

 悲願の達成という形で幕を閉じる。

 思えば長かった。

 死にたくて快速電車に飛び込もうとしたあの日、彼女に命を拾われてから今日に至るまで、死にたいと思わなかった日は一度も無い。

 そして今日、私は死ねる。

 特別何を思うわけでもなく、ただただシャワーを浴びる。

 死ぬのが怖いかと聞かれても、別段怖くもない。

 本当に今更だ。

「にしても、私を食べたあとどうするんだろ」

 私の自殺と彼女の悪食に計画性なんてない。

 偶然死のうとしていた私を人食願望のある莉奈ちゃんが見つけて、今日に至るまで美味しく調理され続けてきた。

 まるで家族みたく、時には親友のように、恋人のような事も。私たちは「食べてしまいたい程好き」になる為にこの一年間を過ごしてきた。

 これから起こる食事は、私達にとっては生きてきた意味とも言える出来事だが、世間から見れば猟奇殺人事件だと言うことを、全く持って考慮せずに行われるのだ。

 私はただ死ねばいいが、彼女はその後法によって裁かれてしまうだろう。

「遺書に莉奈ちゃんは悪くありませんって書こうかな」

「どう考えても悪いでしょう、アントロポファジー

重罪よ」

「アント……何?」

「アントロポファジー、カニバリズムの事よ。本当あなたは学が無いわね」

「ごめん……ろくに学校も行かなかったから」

「学校でアントロポファジーなんて習わないでしょうけど」

 当たり前のように浴室に入ってきた莉奈は、私からシャワーを奪い取ってその長い髪を水で濡らした。

「莉奈ちゃん寒いし狭い」

「浴槽に入ればいいでしょう?」

「まだ髪洗えてないのに……」

「髪は食べないからどうでもいいわよ」

 そういう問題でもない気がするが、そう言われてしまえば言い返す言葉も無かった。

 大人しく湯船に浸かり、私と違って綺麗な彼女の身体をマジマジと見つめる。

 もしも私が彼女くらいに美しい人間だったら、死にたいだなんて考えなかったのだろうか?

「何よ、髪まで食べて欲しいの?」

「美味しいところだけ食べてよ」

「あなたの荒れ放題な髪も、トマトソースを絡めたら立派なパスタよ」

「辞めなよ、サイゼの方が美味しいよ?」

「そもそも人間なんて大して美味しくない」

「それは言わない約束でしょ! これから食べるって言うのにそんな事言っちゃダメだよ、美味しく食べて?」

 他愛の無い話は彼女が全身を洗い終えるまで続き、私はその間ずっと彼女の裸体を眺めていた。

 とてもキレイな体だが、これっぽっちも食べてみたいとは思えない。

「この一年、本当に逃げなかったわね。拾った時はただのメンヘラだと思ってたのに、仕事も何も辞めた今でも本当に死にたいの?」

「死にたいよ」

「正直、食べてしまうのが勿体無いくらいあなたとの一年間は楽しかったわ。生きていてほしいくらい、食欲不振になってしまいそうなくらい、楽しかった」

「私も楽しかったよ、莉奈ちゃんと過ごすの」

「……あなたをずっと養う事くらい、容易いのよ?」

「けど楽しかった理由は、今日になれば莉奈ちゃんが私を食べて楽にしてくれるって保証があったからだよ」

 だからちゃんと食べて、と彼女に微笑む。

 このままずっと二人で生きていけば、それはそれはすごく幸せな人生なのかもしれない。

 だけど私には、そんな絵空事なんて信じられない。

 一番幸せな今だからこそ、彼女の望みを叶えて死にたいのだ。

 断られてしまったとしたら、またいつかの駅に歩き出すだけだろう。どう足掻いても私はもう生きられないのだ。

 心の寿命が尽きてしまったから。

「そういう約束で始まった関係だったわね、忘れていたわ」

 身体の泡を流して、彼女も湯船に足を入れる。とても狭い。

「こんなに大好きな人を食べれるなんて、私は幸せね」

 身体が密着したままで、彼女は私の腕に歯を立てる。

 甘噛み程度に食い込んだ歯は、少し私の腕に傷を付けて血が滲む。

「結構痛いねー」

「リストカット症候群のあなたなら、この程度慣れっこでしょ?」

 くすりと笑って、腕を噛むのをやめる。

「このまま、食べてしまっていいかしら」

「お風呂なら血も洗いやすくていいんじゃない?」

 多少狭い事に目を瞑れば、だが。

 他人事のように言う私に呆れ顔の彼女は、滲んだ血をぺろりと舐めた。

 あまり美味しそうじゃないなぁ。

「出来るだけ苦しめないように、ここから食べるわよ」

 私の首筋に歯を当てて、いつものように「戴きます」と食事の始まる合図を放つ。

 これで終わりか、と目を閉じようとした矢先、彼女は噛むのを辞めて私を抱きしめた。噛み殺すのをやめて絞め殺そうとしてるのかと思うほど強く。

「……一応最後に」

 初めてあった時のように冷たい目で彼女は私の方を睨む。

 嗚呼、獲物を狙う鷹の目だ。

「なにか言いたいこととか、そういうのはあるかしら? きっともう止まらないから、最後よ」

 自分に言い聞かせるようにそう言うと、私の返答をしばらく待った。

 少し考えて、私は

「……ボナペティ?」

 と、いつか莉奈ちゃんが言っていた言葉を返した。

 その返答に対し心底嬉しそうな顔をして、彼女は私の首筋を噛み千切る。

 これは、ようやく見つけた生きる意味だった。

 彼女にとっては、ファミレスの安いスパゲッティと同じ程度の価値だったとしても、死にたがりの私を一年も延命させるには十分過ぎる意味だった。

 同時にずっと探していた死ぬ意味でもあった。

 鋼鉄に押し潰されるより、よっぽど幸せな終わりだ。

「ご馳走様」

 微かにそう聞こえたような気がした。

 嗚呼、果たして私は美味しかったのかな?