鬼神様の庖丁人

菅部 享天楽

 

 

 私の住む村には誇槍(こやり)の森という森があり、その奥に大きな神社が佇んでいる。

 ここにはある伝説がある。昔、この森には鬼が住んでおり、毎夜、村にやって来て暴れ回っていたという。そこで、その村の人々は神社を建て、鬼神様に祀り上げ、二年に一度、娘を生贄に出すことで荒事を鎮めた。そうしてこの森は「娘遣りの森」と呼ばれるようになり、時代の流れと共に「誇槍の森」と表記が変化した。

 さて、皆さんは流石にこのような儀式が今も残っているわけないと思われているだろうが……実は現在も続いている。鬼神様は実在し、村の娘は生贄に出されている。

 何故このような話をしているかと言うと、今まさに私が、鬼神様の生贄として誇槍神社に向かっているからだ。

駕篭に無理やり押し込まれた私はゆらゆらと揺らされながら、鬱蒼とした森を進んだ。途中で逃げ出そうにも、これでもかというほどに重ねた着物のせいで、それも難しかった。まあ、動きやすくても駕篭を何人もの男が取り囲んでいるのだけれど。

 やっと神社についた。駕篭から顔を出すと、目の前には、神額に「娘遣」と彫られた忌々しい鳥居があった。かつては朱色に染まっていたのだろうが、丹塗りがすっかり剥げてしまい、木材は老朽化し、今にも崩れそうだ。その鳥居を潜り、五メートルほど離れたところで、駕篭がピタリと止まった。

 その瞬間、私は駕篭から素早く降りた。

 分かっている、逃げてもすぐに捕まってしまうことくらい。でも、それでも私はまだ死にたくない。抵抗ならいくらでもやってやる。

 私は鳥居に向かって走り出した。が、すぐに足を止めてしまった。突然、辺りが濃霧に包まれたのだ。霧はすぐに晴れていき、周囲がはっきりと見渡せるようになった。私は唖然とした。今いる場所が先ほどまでの暗澹とした森ではなく、どこかの日本家屋の土間に立っていた。目の前には流し台、隣にはかまどが並んでおり、備え付けの棚には桶やまな板に大皿、そして包丁が置かれている。

(あんな高い所に包丁が……)

「贄だ。うまそうなのが来たぞ」

居間から声が聞こえる。そちらを見ると、ニタニタと不気味な笑みを浮かべた男女が広い座卓を囲んでいる。見た目こそ人間と大差ないが、異形の何かだと直感的に分かった。恐怖のあまり後退りをすると、トンと何かにぶつかってしまった。振り返ると、そこには赤い髪を振り乱した大男が立っていた。

「今回の生贄はこいつか。中々美味そうなのを寄こしてくれた」

 赤髪の男はそう言うと、私の肩を無理やり抱き、居間に連れていった。大男は私を上座に座らせると、隣に腰を下ろした。すると、周りの男女は奇怪な笑みを浮かべたまま、姿勢を正した。

 彼らが囲んでいる座卓には酒と何も下処理されていない鰤が沢山、それと人一人が横になれそうな大きさの皿(多分私が盛られるであろう皿)が並んでいた。

 それにしても鬼神というのは魚が好きなのか? それと、鱗すら落とされていないが、今からここで解体するのだろうか? 私のついでに解体するつもりだろうか?

 とか、余計なことを考えていた。決して冷静などではなく、余計なことを考えないと身が保たないのである。

 彼らが盃に酒を満たすと乾杯をした。一同はよっぽど私が来たのが嬉しいようで、頭のてっぺんから足を舐め回すように見てくる。どうやら、彼らにとって人間は特別な食材らしい。まあ、二年に一度しか食えないのだからそりゃあそうか。私はもう間もなく食い殺される。恐怖で半狂乱になりそうだ。どうにか気を保ちたい。私は気を紛らわらそうと鰤を見つめた。

 これだけの数の鰤があれば様々な料理ができそうだ。煮付けにしても良し、照り焼きにしても良し、あるいは何もせずに刺身にするのも良い。いや、これだけ人数がいればレモン鍋もあっさりしていて美味しそうだ。ああ、鰤のフルコース。ああ、贅沢の極み。

 ……って私は食材になりに来たのであった。鰤に花を添えに……花を添える? かは分からないが。兎に角、食べられに来たのだ。またしても余計なことを考えてしまった。

 だが、もし、叶うなら私が調理してみたい。この時期の鰤は脂が乗っていて美味なのだ。……もう余計なことを考えるのはやめて現実を見よう。

 私は彼らの宴の様子をぼんやりと眺めていた。鬼神とその仲間は酒を水のようにガバガバ飲んでいる。そして、鬼神が鰤に手を伸ばした。ついに解体ショーの始まりか?

 かと思ったが、鬼神はそのまま口に運ぼうとしている。

「ちょ、ちょちょちょ! ちょっと待って!」

 私は鬼神が持つ鰤を掴んだ。

「そのまま食べるつもりなんですか、絶対美味しくないですよ?」

「ああ? 俺たち鬼はこうやって食う」

「あなたたちは水鳥ですか!? 鰤大根にした方が美味しいに決まっているじゃありませんか」

 宴を楽しんでいた化け物達は手を休め、こちらをギロリと睨んで来た。

「生贄風情が鬼神様の為すことに難癖付けんじゃねえよ」

「難癖ではありません、助言です。少なくとも鱗とはらわたは取った方がいいです。手を加えた方が美味しいです、絶対」

「鬼神様に長い時間待てと言ってんのか?」

「ならば、鰤大根は諦めますので、せめて刺身にさせてください。それほど時間は取らせませんので」

「お前、図に乗んなよ」

 鬼達が文字通り鬼のような形相で私にじりじりと歩み寄ってくる。まずい、出過ぎたことを言ってしまった。ああ、でもどうせ食べられるからいいのか。

「やめろ」

 鬼神の一声で化け物達は動きを止めた。

「座れ。おい、生贄」

 鬼神は全員を座らせ私を一瞥した。

「は、はい」

「俺に物言う生贄は初めてだ。その度胸に敬意を示して魚を好きにさせてやろう」

「は、はい! 有難うございます!」

「……感謝する生贄も初めてだ。お前はなんだ?」

「はい! 私は繁名(はんな) 嘉穂(かほ)と言います。料理が好きな女子高生です!」

「名を聞いたわけじゃないんだが……まあいい。さっさとやれ」

 鬼神が持っていた鰤を私に押し付けた。

「はい! 任せてください!」

 

※ ※ ※

 

妙な生贄が来た。鬼の食い方に文句を言い、名を名乗った。これだけでも異常なのだが、さらに魚を料理したいと言い出した。今までこんなこと言われたのは初めてなものだから、俺は戸惑ってしまった。結果、考えるのが面倒になり、好きにさせることにした。

 生贄は嬉々として魚を台所へ運んだ。棚にあるまな板と包丁を取ろうと背伸びをする。が全く手が届かない。そして、俺を一瞥する。とれってか!?

こいつ、中々強気だな。こんな態度を取るのは高貴な修験僧くらいだ。益々この女が何者か分からなくなってくる。

 俺は仕様がなく、包丁とまな板を取ってやった。生贄は笑顔でそれらを受け取るとまな板の上に魚を置いた。

 この包丁とまな板は人間を解体するためにあった。しかし、態々切るよりも引き千切って食った方が早いので結局、一度も使われることなく、棚にしまっておいた。

 奴の手際の良さは素人の俺たちが見てもはっきりと分かる。魚をさっと洗い、包丁の背で鱗を取り、鰓を開いて頭を落とした。「時間を取らせません」と言っただけはある。蔑むようにその様子を見ていた取り巻きは、次第に表情を変え、目を丸くした。中には身を乗り出して生贄の手元を見ようとする奴も現れた。

 そんなことも気にも留めず、作業を進めていく。腹を割いて、五臓六腑を取り出した。そして、それを流し台へ持って行こうとするのだが、重いのか、苦戦しているように見えた。そして、俺を一瞥……手伝えってか!?

 俺は流し台から水を出し、首のない魚を持ち上げた。生贄は腹を開いてきれいに洗い流す。

「有難うございます。まな板に置いて大丈夫ですよ」

 お前、何様なんだよ!?

 とは思ったが、俺は素直に魚をまな板の上に置いた。魚の解体の続きが気になったからだ。

 そこからの包丁さばきは鮮やかなものだった。腹をさっと尾まで切ると、今度は尾から背中を素早く切る。裏も同じようにして二つに分けると、棒状の切り身になった。そして、皮を剥ぎ、薄く切っていく。すっと一回、包丁を入れるだけで綺麗に切れ、寸分違わない厚さの切り身が次々とできていく。それを眺めていた鬼達は夢中になってそれを見つめている。

「できました」

 生贄は大皿にそれを盛り終わるとそう言った。皿には切り身が花のように丁寧に盛られていた。

「醤油とかあります?」

「ああ、どっかにあるとは思うが」

確か、前に黒塚が持ってきていた……と思う。黒塚は元人間の鬼女だ。そのせいか、彼女は人間の嗜好を持っている。黒塚が遊びに来た時に「台所に調味料がないなんてありえない」と嘆き、うちに色々持ってきた。人間はこれで食い物に味付けするらしいが、俺達、生粋の鬼はそんなことはしない。結局これも棚にしまったのだ。

「え、あるんですね。なら醤油で食べてくださいね」

小娘は大皿を座卓に運んだ。俺は棚の奥にあった醤油の入った壺を持って行く。

空の盃に醤油を垂らし、素手で魚を摘まみ上げ盃の中へ入れる。すると、驚くほど魚が醤油を弾く。暫くその様子を眺めそれを口に放り込んだ。

薄く切っただけの魚は柔らかく舌触りがいい。それだけではなく脂が乗ってこってりとした味わいに仄かな甘みがある。今までの魚とまるで別物、切る以外何もしていないただの魚のはずなのに。

「う、美味い。今までの魚よりも断然……」

飲み仲間も盃を空にして醤油を注ぎ、魚を取り合った。座卓の周りから「うめえ、うめえ」と木霊のように聞こえてくる。魚はあっという間になくなった。すると、奴らは満面の笑みを浮かべながら魚を手にして、生贄に詰め寄っていく。

「え、えと。刺身にしてほしいんですか?」

全員が縦に首を振った。

「勿論! いいですよ」

生贄は笑顔で答える。

「おい、繁名 嘉穂といったか」

「はい!」

 嘉穂はこちらを向き背筋を正す。

「お前、面白いな。俺の庖丁人になれよ」

「いいんですか!?」

「俺に色んな料理教えろよ」

「勿論です」

 と俺に笑顔を向ける。

「お前をどうやって食うか、考えさせてくれよ」

「……え……と、要するに、私の食べ方を見つけるために料理をしろということでしょうか?」

「そうだ」

「断ったら」

「食う」

「ならやります」

 嘉穂から笑顔は消えていた。