命令ゲーム

上坂 涼

 

 命令ゲームというものをご存知だろうか。

 元々は人によって『禁止ゲーム』、『やっちゃダメゲーム』、『特別ルール』のような呼び方をする遊びだ。

 簡潔に言えば“白線の外にはみ出たら死ぬ”、”ポストを見たらタッチしないといけない“といったゲームにも満たない子供遊びである。主に登下校中の通学路でよく遊ばれる。

 鬼ごっこやかくれんぼのように、日本人の大半が共通認識を持った遊びではないにもかかわらず、一定数以上の子供達が遊んだことのあるだろう遊び。それを本格的なものに進化させたのが命令ゲームである。

 その遊びを大の大人がガチでやるとどうなるのか⋯⋯命令ゲーム発案者である変わり者の社長が今ここに、過酷な戦いの火蓋を落とそうとしていた。

「我が遊び心ファクトリーズの諸君! 今年も命令ゲームを開催する日がやって参りましたよ!」

 ここは映像編集と映像デザインを主に請け負う零細企業。遊び心ファクトリーズ。社長の柳葉と従業員八名による軽く息を吹いたら消えてしまう灯火のような小さな小さな企業である。

 腰に両手を当ててガハハと笑う柳葉社長に、結城は片手を挙げる。

「あの⋯⋯社長。本当にやらないとダメですか? 今日納期の仕事があるんですが」

「そんなの遊びながら仕事をすれば良いだろう。なにを言ってるんだ全く」

 遊びながら仕事が出来るなら、世の中に企業なんていらないだろうがバカ。と内心で舌打ちしながら、結城はしぶしぶ挙げた手を下ろした。

 結城以外の社員も皆、暗い顔をして俯いていたり、あからさまに嫌悪の目を社長に向けていたり⋯⋯様々なマイナスのリアクションを取っていた。

 こういう空気になるのを予め想定していたのか、柳葉社長はわざとらしく思い出したかのように言った。

「ああそうそう。今回はね。特賞あるから。勝ち残った者には三ヶ月分のボーナスを、非参加者には今月の給料全額カット」

「やります!」

 従業員八名全員がババっと立ち上がり、参加を表明した。

「いつも通り、脱落者にはキツイ罰ゲームがあるからね。皆さん勝ち残りを目指して励むように!」

 

 かくして。命令ゲームの火蓋が汚い大人の手によって落とされてしまった。

 一番古株の結城を初めとする社員八名は、陰鬱とした想いを抱えながらも戦うこと決めた。弱者が強者に抗うことは大変なリスクなのである。

 もちろん法を並べ立てて、戦おうとする勇者も存在しない。なぜならそのような勇者の素質があるものは最初から採用しないからである。全ては面接の時から仕組まれていた陰謀なのだ。

「さあさあ。最初のくじを引きますよ!」

 柳葉社長は嬉々として、上部分だけ切り取られた正方形の箱に手を突っ込んだ。

 命令ゲームはその名の通り、しなければいけないことを守るというゲームである。柳葉社長いわく命令リストと呼ぶらしい。

 命令リストは無茶振りの書かれた沢山のくじの中から選ばれる。しかも三十分置きにくじ引きが行われ、命令リストが追加されていく。

 今から八時間後の定時まで、NGリストに抵触せずに過ごすことが出来たらクリアなのだが、最後の三十分時点で、その命令リストの数は十六にものぼる。勝ち残るのは最初から絶望的だった。

「ほいきた! ⋯⋯どれどれ」

 柳葉社長がくじを開くのを、皆が固唾を呑んで見守る。紙の擦れる音が静かな室内を踊り⋯⋯パァッと満面の笑みが社員八人に向けられた。

「発表します! 最初の命令リストは、飲み物禁止!」

 飲み物禁止⋯⋯飲み物⋯⋯禁止。飲み物禁止!?

 どぉっと皆がどよめく。

「僕そんなの無理だよ⋯⋯! こんな真夏に飲み物無しだなんて! 死んじゃう!」

「私も会社に付いてから飲み物買おうと思って、今朝起きてから今まで一切なにも飲んでないの!」

 映像編集の登別と、イラストレーターの波野が同時にダンッとデスクに両ひじを突き、頭を抱えた。

 特に登別においては体重百五〇キロを超える大男で、沢山の贅肉をお腹に抱えている。彼は冷房の効いた社内であっても、夏の季節は暑そうに団扇を仰いでいるほどの暑がりであり、汗っかきであった。

 八月の中旬であるこの頃は猛暑が続いていて、熱中症が後を立たないと今朝のニュースでもやっていた。登別でなくても相当にしんどい命令リストだ。

「僕はもうリタイアで良い! 飲み物を飲めないなんて自殺行為だよ!」

「私も無理! もう既に喉がカラカラ⋯⋯」

 これまたダンッと二人は同時にデスクを両手で叩き、立ち上がる。

「ガハハ! 貧弱な奴らめ。さあこっちへ来なさい。自分達で罰ゲームを決めるんだ」

 柳葉社長は命令くじの箱の隣に、真っ黒い箱を取り出して置いた。作りは全て命令くじと同様だ。二人はおずおずと罰ゲームの入った四角い箱まで向かい、くじに手を伸ばした。そして必死に祈るような顔つきで二人はくじを掴み、自分の手元まで持ってくる。

「さあ、渡しなさい。皆に君達の罰ゲームを発表してあげよう」

 社長は二人からくじを受け取り、皆を見る。

「まずは登別君から」

 再び室内に静寂が訪れる。そして⋯⋯。

「定時まで腕立て伏せ!」

「ええええ! 仕事出来ないよぉー! というか腕立て伏せなんて一回が限界だぁ!」

「仕事は朝まで残業すれば出来るだろう馬鹿者! ⋯⋯さあ。次は波野さん」

 登別はがくりとうなだれ、先に自分の席へと戻っていく。

「波野さんは⋯⋯萌え声の侍口調! かつ語尾はにゃん!」

「は? え、え、え? どういうことですか?」

「馬鹿者にゃん! こういうことでござるにゃん。分かったでござるかにゃん?」

 部屋中に響き渡る五十代後半の甲高い声に、皆がドン引く。

「わ、わか⋯⋯わかったでござるにゃん。戻るでござるにゃん」

 波野が自席に戻ろうと身体を翻した時、

「いーち⋯⋯あぁ⋯⋯もう無理ですしゃちょぉ〜」

 どすんという重たい音をたてて、登別が床に突っ伏した。

「休んでも良いが、次から腕立ての姿勢を崩すたびに給料を10パーセントカットするからな!」

「ひぃぃいい!」

 即座に腕立て伏せの姿勢に戻る登別。実に見るに耐えない光景である。

「さあさあ君達! 今日も仕事に励もう! 私は今日一日ここで君達の仕事ぶりを見守っているからね」

 楽しんでいるの間違いだろバカ。と、結城は心の中で悪態をついてPCの電源を入れた。

「今回のは頑張りがいがありそうだな結城」

 と、結城に話しかけてきたのは結城と一ヶ月違いで入社してきた同僚の安藤。

「けど結城先輩って、登別さんや波野さんと同じく早めにリタイアしちゃいますよね」

 さらに一年後輩の咲宮もやってくる。

 三人はこの企業の古株であり、映像編集の責任者だった。主な仕事は他企業への提案営業であり、映像編集の仕事を外から持ってくるのと、映像制作の土台を作るのが使命である。

「あの社長のことだ。最初からクリアさせる気なんかないよ。しかも三ヶ月分のボーナスを出すだなんて、NGリストがよっぽど厳しい内容になってるに決まってる」

 結城の言葉に安藤と咲宮は腕を組んだ。

「あー。飲み物NGなんて今までなかったもんなぁ」

「確かにこのNGリスト⋯⋯今回は厳しい内容にしているという何よりの証拠かもですね」

「だろ? こういうのは適当付き合って、罰ゲームで笑わせてやれば良いんだよ」

 

 結城の言う通り、それ以降の命令リストも過酷なものばかりだった。

 あれから四時間が経って、現在の命令リストは九個。『飲み物禁止』、『敬語禁止』、『喋り始める時は「あっ」を付ける』、『喋り終わる時は「ポコペン」を付ける』、『デスクに素肌で触れてはいけない』、『オネエ口調で話す』、『話しかける時にははっけよーい! と叫んで、相撲の四股を踏む』、『席を立ったら、すぐその場で逆立ちをして大声で十秒数える』『席を立つ時と座る時は、ウィーンガシャンと叫ぶ』。

「あっ、あなたのその動画、一分四十五秒のところ、そうそう。太陽より向日葵のイラストの方が良いんじゃなぁい? ポコペン』

「あっ、ウィーンガシャン! ポコペン⋯⋯あっ、いちにさんし、ごろくしちはち、きゅうじゅう! ポコペン」

 とてつもないカオスである。

 休日にするお気楽ゲームとはわけが違う。ここは企業なのだ。仕事仲間と円滑なコミュニケーションを取って、質の良い商品を作り上げる場所なのだ。なので脱落を恐れて、会話をしないわけにはいかない。オフィスには、しきりに四股を踏み、ウィーンガシャンと叫び、逆立ちをし、奇抜な喋り出しと語尾のオネエで溢れていた。もはや新興宗教の熱心な信者達である。

 脱落者はなんとあれから一人もおらず、必死に奮闘していた。三ヶ月分のボーナスというのが意外に効いているのかもしれない。脱落者が一向に出ないため、柳葉社長は極めて不機嫌そうに頬杖を突き、皆の仕事ぶりを監視していた。

「あっ、はっけよーい! ⋯⋯あっ、結城クンにお客様よぉ。ポコペン」

「あっ、アラァ。ありがとー。咲宮ちゃん。どちらさまかしら。ポコペン」

 咲宮は携帯を取り出し、手早く操作した。それから結城の携帯を指でさし、つんつんと突くようなジェスチャーをした。意図を汲んだ結城は自身の携帯を素早く起動した。

(オネエ口調の先輩とか新鮮ですね。これはちょっと私得でした。お客様はウエディングプレゼンツの鷲茂さんです。応接室でお待ちいただいてます。また今の状況も説明済みなので、存分にオネエしてきて大丈夫です)

 結城は文章を読み終えると、咲宮の顔を見てこくりと頷いた。

 

 それから二時間後。生き残っているのは結城と咲宮のみとなっていた。安藤を含む他の仲間達も頑張っていたが、追加されたNGリストがえげつないものばかりだったのだ。新たに追加された命令リストは四つ。

『空調禁止』、『すれ違う相手の頭をスリッパで叩く』、『携帯を手に取った時に、自分のフルネームとともに行きまーす! と叫ぶ』。そして『トイレ禁止』。

 特にこのトイレ禁止が猛威を振るった。生理現象に制限をかけるなど不可能に近い。鬼畜の所業である。腹痛や尿意に耐えかねた仲間達は、悔しくも脱落を余儀なくされた。「膀胱炎になっていたらぶっ殺してやる」という耳に新しい安藤の恨み言が、結城の耳にこびりついて離れない。

 ⋯⋯そして。ここまで耐えていた咲宮もついに。

「ああもう!! こんなの耐えられない! セクハラもいいところよ! コンプラどうなってるのよ!」

「はい! 咲宮くんも脱落。こっちへ来なさい」

 ホクホク顔の柳葉社長の元へ、咲宮は怒り顔のまま向かう。そしてやけくそ気味にくじを一枚引いた。

「はいはい。渡してね。⋯⋯どれどれ」

 柳葉社長は咲宮からくじを受け取り、ゆっくりと開く。

「五分に一回、好きな人の名前を叫ぶ」

「な、な、な⋯⋯」

 咲宮は顔を真っ赤にして、動揺している。それを尻目に柳葉社長はニヤニヤと笑って言った。

「ガハハ! これは恥ずかしいねえ。咲宮ちゃんの好きな人って誰なのか気になるし、楽しみだねぇ。もしかして僕かなぁ?」

「それはないです!」

「じゃあ誰なの? どうせ五分後に叫ぶんだし、今から一度叫んじゃいなよ」

 咲宮はしばらく顔を真っ赤にして硬直していたが、やがて意を決したように叫んだ。

「結城先輩!」

「⋯⋯え? 咲宮が俺のことを?」

 結城はもちろん、社員全員、そして柳葉社長までもが絶句していた。

「え、え。まさかの社内恋愛?」

 と、柳葉社長は呟き、

「そんなの許されるかぁ! 結城てめえも強制リタイアだ! こっちに来い!」

 次の瞬間、大爆発を起こした。

 結城は半ば放心状態で箱の前に立ち、くじを引く。

「とっととよこせ!」

 柳葉社長は結城のくじを奪い取り、乱暴に開く。

「す、好きな人に今すぐ告白⋯⋯」

 柳葉社長のその言葉を聞くや否や、結城は咲宮の手を取った。

「咲宮。俺、お前のことがずっと好きだった。こんな会社にずっといるのも、お前がいたからなんだ」

「結城先輩⋯⋯実は私もなんです」

「お前ら二人ともクビだ! 面白くない!」

 二人は声を揃えて叫んだ。

「喜んで!」

 ベテランの営業マンが二人抜けたことで、遊び心ファクトリーズはあっという間に潰れた。