鬼結び神社

菅部 享天楽

 

 諏訪藩のあるところに、朱桐(あかぎり)神社なるものがある。縁結びのご利益があるそうで、若い者たちが挙って参拝へ向かおうとするのだ。しかし、その場所というのが、定かではなく、参拝したという者に話を聞いても、ある者は深い山の中だと言い、またある者は川の畔だと言う。しかし、不思議なことに、境内の様子を聞けば、皆似たようなことを話し、全く同じお守りを手にしているのである。更に、こんなことまで口を揃えて言うのである。

 「あそこは化け物も参拝しに来る」と。

 

 紅と藍と橙を乱雑に混ぜ合わせたような色彩が空を支配していた。ヒグラシの鳴き声が辺りに響き、彼岸花が芽を出し始めていた。

私はたんころで辺りを照らしながら、社務所へ急いでいた。蔵の掃除や草木の手入れをしていたら、こんな時間になってしまった。暗澹とした竹林を抜け、境内に足を踏み入れた。目交(まなか)いには朱塗りの鳥居が一基、聳え立っている。その奥は一筋の光も差さぬ闇が広がっていた。

 今は逢魔が時。人の世と異界が交わる時。闇を見つめれば見つめるほど、あちらへ吸い込まれるような、薄気味悪く重苦しい空気を感じる。私は暫くその場に立ち尽くしていたが、不意に飛び立った鴉の羽音で我に返り、逃げるようにその場から去った。

 何故私はこんなことをしているのだろうか。社務所へ駆けながら、ここへ来た経緯を思い出していた。

 

 私はそこそこ名の知れた旅籠で働いていた。我ながら要領も、客の評判も良かった。しかし、それを妬んだ仲居があらぬことを吹聴し、暇を出されてしまった。露頭で途方に暮れていると、神主さんに声を掛けられて、朱桐神社の巫女となった。

 しかし、大変後悔している。私は根っからの怖いもの嫌いで、怪談を聞いたり地獄絵図を見たりするだけで気を失いかける。これがその後悔とどう関係があるかというと……、ここは化け物達が見合いをするために建てられた神社、鬼結びの神社なのだ。

 私がここに来たばかりの時、神主さんにこう言われた。

「久池井(くちい)さん、くれぐれもこの鳥居より向こう側に行ってはなりません。あちら側は異形の者の世界、二度とここには戻れないでしょう」

更にこうも言っていた。

「逢魔が時になりますと異形たちが参拝しに来ます。一人で鳥居に近づくのは止めてください。連れて行かれかねませんから」

 

 そんなことを考えていると、社務所に辿り着いた。朱桐神社の拝殿は山小屋のようにとても小さく、痛み放題の木造建築に葛が絡み、瓦も所々剥げている。奥にある本殿もこの調子である。つくづく罰当たりな神社だと思う。こんなのでよく神社などと名乗れるなとも思う。それに比べてこの社務所は武家屋敷のように立派で大きい。どれくらい大きいかと言うと、境内の六割以上は社務所である。明らかに銭の使い方を間違っている。見た目が立派なせいか、社務所に向かって参拝する者も度々見かける。あまりに神様が不憫なので、毎日欠かさず、なけなしの銭を賽銭箱に放って、お参りすることにした。

 私が社務所の戸を開けると、バタバタと社務所中が騒がしい。ああ、今日は見合いの予約が入っていたんだっだ。

 この神社の見合いというのは独特である。普通は水茶屋の床几(しょうぎ)に男が座り、その傍を女がさりげなく通り、偶然男女が見初めるという芝居をするものなのだが、ここでは一室に男女を呼び、料理や酒を振舞い、お互いを良く見たうえで、お付き合いするという形式をとっている。仲人、つまり神主さんと見合い相手の面子が潰れるのではないかと神主さんに問うと

「良いのですよ。これで化け物の結婚生活が上手く行きやすくなるのなら。私なりの優しさです」

 何故その優しさをご神体に使うことができないのだろうか? 化け物に優しくてご神体をぞんざいに扱っている神主さんには天誅が下ればいい。

 私は社務所の一番奥にある広間へ向かった。広間では神主さんが衝重(ついがさね)を三つ並べていた。

「ああ、久池井さん。お帰りなさい」

 神主さんは丁寧は口調でそう言った。

「ただいま戻りました。あれ、お見合いなのに三人分なんですか?」

「ああ……それがですね、男の方の母が少々過保護のようでして……、来るみたいです。母も」

「そ、そうなんですね……」

 私は内心不快感を覚えながらも平静を装った。

「本日はこちらのお二人方がお越しになります」

 そう言われて、今日見合いをするという二体の化物の似顔絵をもらった。一体は鈴を手にした尼僧姿の鶴ともう一体は赤い顔の鬼だった。

「鶴と鬼が見合いをするんですね」

「妖怪の世界ではこういうことも珍しくありませんよ。それと、鶴と鬼ではありません。八乙女と朱の盆です。くれぐれもご本人の前ではそのようなことを言わないように」

「は、はい……」

 

 それから、私はがたがた震えながら、玄関で神主さんと並んでその怪しい者たちが来るのを待った。

 暫くすると、外から足音が聞こえ始めた。戸がすうっと開き、二体の化物が中へ入ってきた。一体はあの赤い顔の鬼である。毛先が針のようにとがっている長い髪、額牛の角が一本、目は皿のように丸く、口は耳まで裂けている。そして、とてつもなく背が高い。いや、背が高いと言うより、体が大きい。決して太っていると言いたいのではない。体格が良いと言いたいのである。絵でも十分怖いが、実物は更に怖い。

 そして、もう一人は老婆。紙をしわくちゃに丸めたような顔をした特に特徴のない妖怪である。しかし、特に特徴がないと言えども、禍々しい雰囲気は健在で、何故かあの鳥居の奥に広がる闇を見ているような気分になり、鳥肌が立つ。

「ああ、ようこそおいでになりました」

 それにも関わらず、神主さんは笑顔で彼らを迎える。流石、手慣れている。

「こ、こんばんは。久池井という者です。ええと、お部屋にご案内致します」

 私はそう言って一礼した。顔を上げると、朱の盆はじっとこちらを見つめており、目が遭ってしまった。思わず、目を逸らせてしまった。

せかせかと部屋に案内して、「ごゆっくりどうぞ」と席についた二体に頭を下げた。その際も朱の盆と目が遭ってしまい、恐怖のあまりに慌ててその場を去ってしまった。

 失礼なことをしてしまった。

 私は己の行ないを反省した。次の妖怪を迎えるときは粗相のないようにしなければ。

 朱の盆を部屋に案内した後、ほどなくして彼の見合い相手がやって来た。

 その姿は絵に描かれた通り、尼僧の姿をした鶴なのだが、よく見てみると羽根はなく、代わりに鋭い爪を有した腕が生えている。具体的になんの動物の腕かと言われると説明しにくいのだが、兎にも角にも腕が生えている、その手には小鈴が握られており、歩く度にしゃんしゃんと鳴らしている。不思議とこの化け物からは先ほどの朱の盆や、老婆のような恐怖の念は感じられなかった。とても静寂で深く青い木々に囲まれ、川のせせらぎが聞こえる場所のような、どこか畏れ多い神々しさが彼女にはあった。

「こんばんは、久池井という者です。お部屋にご案内致します」

 私は先程とは異なり、冷静に彼女を部屋へ通した。

 それから化け物達による見合いが始まった。その間、私と神主さんは料理を運ぶ以外で部屋に入ることはない。その為、どのような会話がされているのかは全く分からない。まあ、興味もないのだが。

 本音を言うと、私はあの部屋にはもう入りたくない。あの朱の盆という鬼の視線が怖いのである。私が彼を迎え入れたときもそうだったが、料理を運んで来る際にあの皿のような大きな目でぎょっと私を見つめてくるのである。それが悍ましくて仕様がないのだ。

「久池井さん、化け物達がお帰りになられたので、そろそろ片付けをしましょうか」

 自室に籠って待機していた私を神主さんが障子越しから呼んだ。私は返事をして部屋から飛び出した。だが……。

 そこに立っていたのは朱の盆だった。私は慌てて部屋に戻ろうとしたが、腕を掴まれ、もう片方の手で私の口を押さえつけた。

「行くよ、朱の盆。神主に見つかっちまうと面倒なことになるからねえ」

 老婆が蛙のような長い舌を引きずりながら、近づいてくる。朱の盆は私の口を手で押さえたままどこかへ歩き出した。

「うちの息子がネぇ、あんたを嫁にもらいたいって言ウんダぁ」

 社務所を出た辺りで老婆がそう言った。その声は威嚇をする猫のようであった。さあっと背筋が凍った。私は手を、足を振って藻掻いたり、腹から声を出そうとしてみたりしたのだが、どうにもならずに徒労に終わった。

 晩夏の肌寒い風が首筋を撫でて駆けていく。風の行く先はあの闇が広がる鳥居。私は更に大きく体を動かして、彼に抗った。海で泳ぐように暴れていると、突然鬼がうめき声を上げて蹲った。見ると鬼は目の辺りを両手で覆っていた。どうやら私の指が偶々目に入ったらしい。私は何とか立ち上がって社務所に戻ろうとしたが、足にぬるぬるしたものが巻き付いて後ろに引っ張られてしまった。それはあの老婆の長い舌だった。老婆はその舌を縮めて目の前まで引き付ける。朱の盆はむくりと起き上がると、ただでさえ大きい目をかっと見開き、私の足を掴んで鳥居のその先に向かって歩き出した。私は地面に爪を立てるが、全く意味がなかった。

 愈々鳥居を潜り抜けてしまった。私は腕を伸ばし、鳥居の足にしがみついた。しかし、朱の盆が足を引っ張り、老婆が鳥居にまとわりついた指を解いていく。その度にすぐに指を鳥居にぴたりと引っ付けた。私はただ泣き叫びながら助けを求めた。朱の盆の引く力はどんどん強くなり、時折体のどこかでぷちんと音が聞こえた。それでも嫁になるまいと足掻いたものの、指が少しずつ滑っていき、遂に手を離してしまった。

 

 しゃん……しゃん……しゃん……

 

 遠くから小鈴の音が聞こえてきた。朱の盆と老婆はそれを聞くや否や耳を塞いで苦しみだした。私はその隙に境内に入り、音のする方を見た。そこには尼僧の恰好をした化け物、八乙女の姿があった。

 彼女は一定の間隔で鈴を鳴らしながら、こちらに近づいてくる。鬼達はとうとうその場から逃げ出していった。八乙女は私の目の前まで来ると一礼して、鈴を鳴らしながら去っていた。

「あの、有難うございました」

 私は彼女の背中にそう言って頭を下げた。

 暫くして神主さんがこちらへやって来た。「申し訳ありません。本当にご無事でよかったです」と何度も頭を下げていた。私は「莫迦」とぶっきらぼうに言った。