虹の水門守
菅部 享天楽
雲より高いあるところに、虹がタプタプに満たされた水門がありました。その水門の近くにハクトという少年が住んでいました。
彼の仕事は、地上に雨が降ってしょぼんとした人たちに、水門を開けてきれいな虹を見せることです。七色の光は人々を元気にしました。
昨日の夜はたくさん雨が降りました。ハクトは水門から地上を見下ろしました。地面にはいたるところに水たまりができていました。真っ青な空を映し出して、日の光に当てられて、きらきら光る水たまりは、まるで鏡のようでした。
よし、仕事だ。
彼は手回し式のハンドルをくるくると回しました。水門からは虹がザザっと流れ、下にある雲に落ちていきます。うつむいていた人々は顔を上げました。指をさしてはしゃぐ子ども達、部屋から洗濯物を取り出して外に干す主婦、かさを閉じるビジネスマン、みんな足を止めて虹を見つめています。
ハクトが地上の様子をよく見てみますと、家の中で一人の少女がひざを抱えて座っていました。少女の目の前には布団で横になった女性がいました。どうやら彼女のお母さんのようです。その女性は汗をびっしょりとかいて、強く目をつむっていました。少女が声を掛けると苦しそうに笑顔を作ります。ハクトはとても胸が苦しくなりました。
おっと、いけない。
ハクトは急いで水門を閉じました。水門の下をプカプカ浮かんでいた雲にはあふれんばかりの虹がたまっていました。ハクトはほっとしました。地上に虹をこぼしてはいけないからです。
虹を飲むと、一度だけなんでも願いを叶えることができます。それが、良いことに使われればいいのですが、悪いことに使われてしまうこともありえます。だから、これは誰にも飲ませてはいけないのです。
ハクトは考えました。うんと考えました。考えた末、自分が飲んで、少女を助けてあげようと思いつきました。ハクトはバケツにロープを巻き付けて、水門の上から虹をくみ上げました。ところが、ハクトは飲むのをためらってしまいました。誰も飲んではいけないというのは、当然自分もふくまれているからです。水門を守る自分が虹を飲んでいいのかと……ハクトはまた、考え込んでしまいました。
虹が消えてしまい、人々は再び歩き出しました。しかし、少女は相変わらず、膝を抱えて下を向いたままです。まるで、彼女とその母親だけ、時間が止まっているようでした。
ハクトは虹を飲もうと決めました。虹は人を元気にするためにある、ならば、その虹で少女を元気にしようとしたのです。
ハクトは虹をごくごく飲みました。
昨日はたくさん雨が降りました。ハクトはいつものように水門を開けました。勢いよくあふれ出た虹は青い空を二つに分けるようにして流れていきます。
「あ、虹だよ! ねえねえ、お母さん!」
あの少女は笑顔で虹を指さして言いました。
「ええ、そうね」
すっかり元気になった少女の母も笑顔で虹をながめました。