友達が男のフリをしている女にしか見えない

上坂 涼

 

 今日はクラス替え初日。同じ階でこの一年間を共に過ごしていたはずなのに、高校二年生になって初めて見るような顔もちらほらいた。

 特にすぐ後ろの席。こんな特徴的なヤツを今まで見逃していただなんて、にわかには信じられなかった。

 首を回し、肩越しにヤツを見る。眉の上で綺麗に切りそろえられた艶のある前髪。瞳が丸っこく色白で厚ぼったい唇。線の細い体型、なよっとした仕草。

 明らかに女だ!

 それなのに男物のワイシャツにネクタイを首に巻いているのは何故だ? いったいいつからこの学校は男装可になった? なんで誰も何も言わない?

 その時、男装女子の机から四角い物が転がり落ちた。ヤツの側で談笑していた女子が「あっ」と声を上げる。俺は慌てて前に向き直った。

「優ちゃん。消しゴム落ちたよ」

「あれ、ほんとだ。よいしょっ」

 椅子の足が擦れる音。ヤツは体を折って、床に手を伸ばしたのだろう。

「きゃっ!?」

「どうしたの優ちゃん!?」

「足つったー。いったたたた」

 さて。男が優ちゃんという愛称で呼ばれるだろうか? 声質だって女にしか聞こえない。決め手は足をつった時の悲鳴だ。大の男が「きゃっ!?」だなんて言うだろうか? 普通は「うぉっ!?」とかだろう。

「わ、優ちゃん! サラシ見えちゃってるよ!」

「うそ!? ……ほんとだ! はずかしー」

 はい。出ました。確定。サラシで胸の膨らみを隠しているというお決まりのパターンです。

 この瞬間。俺は好奇心に打ち負かされた。気になりすぎて頭がどうにかなってしまいそうだ。だから他のクラスメイトから優ちゃんと呼ばれるヤツとお近づきになって、秘密を明らかにしようと思った。

「大丈夫か? 足がつった時は壁に両手を付いて、つってる方の足を伸ばすと良いぞ。アキレス腱を伸ばすときみたいに」

 きょとんとする優ちゃんとその友達の様子を見て、自分が自己紹介をしていないことに気付く。うっかりうっかり。人見知りを一切しない質なのが災いして、いつも人との距離を見誤ってしまう。大抵、他の人より近いのだ。

「あ、ごめん。俺は登別。よろしく」

「登別って、あの温泉の登別? 面白い名字だね。俺は白田優。よろしくな」

「私は上川咲。よろしくね」

 おかしい。今はどう見たって男だ。二人のやりとりを背中で聞いていた時は十中八九、女だと思っていたのに。受け答えも、身振りも、声質も。全部が男のそれだった。いったいどういうことだ……?

「おう。ところで、もう足は大丈夫なのか?」

「きゃあっ! そうだった! いったたたた!」

 やっぱり女かもしれない。

 

 それから白田優との学生生活が始まった。

 白田は俺の名字が気に入ったのか。やたらと付きまとってきた。ほとんど毎日のように一緒に登下校し、授業でコンビになり、昼休みを過ごした。

 そうこうしている内に季節は夏に差し掛かっていた。

 話してみれば普通の男子高校生で、趣味も考え方も男っぽかった。週刊少年漫画と不良漫画が大好きで、どんなときでも強気で攻める姿勢をモットーとしていた。

 その言動は見た目に反して、カテゴリーとしてはイケてるグループでもなく、オタクグループでもなく、不良グループにいそうなタイプだと感じた。真面目っぽくて優しそうだけど、平気な顔で悪いことをしそうなタイプだ。

 ま、コミュ力お化けの俺はどのカテゴリーとも仲良く出来るから問題は無い。

 そんなことよりも白田優は男なのか、女なのかが余計に分からなくなったことが問題だ。普通に接している分には男にしか思えない。それがどうもしっくりこない。俺の魂に埋め込まれた女センサーがガンガンに反応してやがるのに、五感はヤツは男だと認識する。

 これはもう強硬手段しかない。次の授業まで残り一分。このタイミングでトイレに残っているヤツはほぼいない。二人きりになれるタイミングだ。

「おう。ちょっとトイレ行こうぜ」

「え!? ま、待ってよ!」

 俺は白田の手を引いて、トイレへと直行した。もちろん男子トイレだ。見た目と態度で判別つかないなら、シンプルにアレで判別する。要は白田の漢を拝んでやろうってことだ。もしこれで漢を拝めなかったとしたら、俺はセクハラの容疑で逮捕されてしまうかもしれないが、そうなったらそうなっただ。この好奇心を止める術はない。明らかにしなければ気が済まないのだから仕方がない。

「さあ着いた着いた」

 そう言いながら、俺は俺の漢を便器に向けた。

「……おい。どうした?」

 だが白田は俺の後ろで、まごまごしたまま、その場から動かない。これは嬉しい展開だ。やっぱり白田には漢が無いのだ。だから便器に近づくことを躊躇している。バレてしまうのが恐ろしいんだ。

「おい白田?」

 ここは追い詰める意味も込めて、念押しで名前を呼ぶ。

「ああもう! 下手な芝居はやめてよ!」

 すると白田は縄が解かれたようにいきなり全身を使って怒りを露わにした。

「な、なに怒ってんだよ」

「どうせ私が女だって勘づいてたんでしょ!」

「や、やっぱり女だったのか」

 白田は観念したように長い息を吐いた。

「ここじゃなんだから、屋上行こうよ」

「屋上って……次の授業どうすんだよ」

「授業なんか、サボったってどうってことないよ。先生に怒られて、内申ちょっと引かれて終わり」

 どこか冷めた視線を廊下に向けて、白田はそう言った。何か含みのある言い方だった。悟ったような、悲しいような、切ないような。その眼差しには、失ったものを懐かしむかのような寂しさがあった。

 俺が答える間もなく、一人で勝手にトイレ前の階段を登っていく。足を遅くすることも、こちらを見向きすることもしない。もし付いてこなかったとしても別に構わないのかもしれない。なんというか、起きた結果を感慨もなく受け取っているだけというか。実際に起こった事象だけを見つめて、過ぎ去ってしまった可能性を振り返ることはしないというか。もちろん本当のところは分からないが、これまでの彼女の振る舞いは、なんとなくそんな気持ちを抱かせた。

 そんな投げやりとも言える彼女の背中を俺は追いかけた。

 なんだ、付いてきたんだ。

 とでも言っているかのような顔をして、彼女は一度振り返った。すぐに前へ向き直り、屋上への扉を押し開ける。

 夏の匂いを包んだ風が、ぶわあっと俺の顔を襲った。澄み渡る青い空と、ソフトクリームのような白い雲。屋上の景色がこれほどまでとは思いもしなかった。

 大空の下、白田が両手を後ろで組んで、こちらへ振り返って笑った。

「この空に比べたら、他のことなんてどうでもよくなるでしょ?」

「そうかもな」

 白田はまるで空から降りてきて一人遊んでいる神様の子供みたいだった。それくらい大空の下で笑う彼女は絵になっていた。

「登別くんなら教えても良いかなってずっと思ってたの」

「え、俺ならって……なんで?」

「君ってさ、好奇心で動くタイプじゃん。すぐに分かったよ。人間関係とか、しきたりとか、カーストとか、そういう社会的な思考とか正直どうでも良くて、とにかく毎日、何か面白いこと転がってないかなって探してる」

 図星だった。寸分狂わず当たっている。わずらしいことに気を回すより、面白いことを探してる方が楽しい。現にだからこうして付いてきた。

「そういうタイプってあんまり私の周りにはいなくてさ。……一目惚れだったよ」

「え、一目惚れって――」

「だから私の全てを見てほしい」

 俺の言葉を遮ったと思えば、白田はワイシャツのボタンに手をかけた。そして一つ一つ外していく。ゆっくり、ゆっくり。

「ちょ、ちょっと待て白田! 早まるな! お、俺にも心の準備がだな!」

「準備なんてするだけ無駄だよ。ぶっつけ本番。ありのままを受け入れてくれたら良いんだ」

「し、白田」

 俺の緊張はあっという間に頂点へと達した。顔は熱いし、呼吸も整わない。頭がくらくらしてどうにかなってしまいそうだ。

 やがて全てのボタンが外されて、下に着ていたサラシが露わになった。サラシの範囲は想像していたより広く、胸から腰にかけて巻かれていた。

 それから白田は臆することなくワイシャツを脱ぎ、素肌を青空の下に晒す。

「はわわわ」

 俺は言葉を紡ぐことも出来ない。ただ目の前で起こっていることの行く末を見守っていることしか出来ない。

 白田は次にサラシの結び目へと手を伸ばした。シュッと音がして、はらりはらりとサラシがほどけていく。

 そして現れる白田の――

「って、あれ」

 白田の胸は板だった。

「驚いた?」

「え、あれあれあれ? 実は女でしたって流れじゃないの? 結局男だったってことですか?」

 さっきまで感じていた緊張が嘘のように引いていくのを感じた。これまでの人生でここまで呆気に取られたことがあっただろうか? ちょっとしたショックだった。

「ううん、女だよ」

「いやいやいや。その胸、男ですやん。男の裸なんて親の顔より見てるんだぜ? その胸は間違いなく男でしょ」

「うん」

「うん。って……。やっぱり男だって認めるの?」

「そうじゃないんだよ。私、元女なんだ」

「はああああ!?」

 雷に打たれたかのような衝撃が全身を襲う! 元、女? 何を言っているんだ? つまりあれか……? これが噂に聞くトランスジェンダーってやつ? まさか、まさかまさか。人生で初めて出くわした人種だ。ど、どうしたら。

 と、ここで一つの疑問が湧く。

「ちょっと待った。そしたらなんでサラシなんか付けてたんだよ。膨らみを板にするためにサラシがあるんだからさ、もともと板なんだったら、サラシなんかいらないじゃん」

「うん。これはね、私が極道の家系だから」

 ……え?

「え?」

 思わず口に出してしまった。

「うん」

「いやいやいや、うん。じゃないよ。つまりどういうこと?」

「私はね、組長の跡取り娘なの。次期組長なんだ。だから刺客とかも多くて……。だからこうして刺されても致命傷にならないように巻いてるの」

 はい! 理解が追いつかない! 普通それ先生にバレたらサラシ取り上げられるやつじゃないの? 逆に取り上げられないってことは先生にも極道の息がかかってるってことで良いの? 訳が分からないよ!

「サラシのことはもういいよ。それより私が男になったか分かった?」

 ……白田が男になった理由。

「ええと、そうだな」

 実は見当が付いていた。けれどそれはなんとも言いづらい。

 だってそんなの、辛すぎる。

「実は女が好きとか?」

 ちょっとおどけてみる。ちゃんと笑顔は作れているだろうか。

「君ってば分かりやすすぎ。本当は気付いてるんでしょ? 遠慮なんかいらないから、当ててみてよ」

「……女だと、ナメられるからだろ?」

「うん」

「お前、それで良いのかよ」

「よくないよ。でもしょうがないじゃん。組員にシメシがつかないんだもん。そうじゃなきゃ組内で仲間割れしてる反対勢力に組が乗っ取られちゃうから。私がお父さんを守らないといけないの。だから私は男になった。そうやって組員の信頼を勝ち取った」

 お前、本当にそれで良いのかよ。

 喉元まで出掛かった言葉を飲み込む。白田はさっき俺に一目惚れだと言った。彼女はどのような想いを胸にして、この言葉を吐いたのだろうか。

 ――もし。この一目惚れという言葉が、言葉通りの意味ならば。俺は漢としてやらなければいけない勤めがある。だからまずは言葉通りの意味なのかを確認する必要があった。

「白田、俺のこと好きか?」

「……うん」

「分かった」

 俺は白田に駆け寄って、彼女の男の身体を強く、強く抱きしめた。

「おもしれえ。要はお父さんを守れれば良いんだろ? 学生一人の力じゃ、どうにも出来ないだろうから入念な計画と準備は必要だろうけどさ、俺がなんとかしてやる。きっとだ」

「うん」

 白田は女子らしい優しい声でそう言って、少ししてからくすっと笑う。

「登別くんって高校二年生にしては大人びてるよね。普通こんな話聞かされたら、ビビって逃げ出しちゃうよ」

「ああ。俺、今年で二十五だからな」

「え」

「え」

 俺はポリポリと頭をかいてから言った。

「あれ、言ってなかったけ?」

「聞いてないよっ!!」

 両手で俺の胸を押しのけて、ぷりぷり怒る白田に笑いかける。

「まあお互い様ってことで」

「もう!」

「ところでもう一つ聞いて良い?」

「なによ」

「結局、アレって付いてんの?」

 白田は一瞬、目を丸くしたが、変なスイッチでも入ってしまったのか、怪しく笑ってズボンのベルトを外しにかかった。

 ――そして。

「ほら。君のより漢だろ? あまりにも漢らしすぎて、なんだか恥ずかしくてさ。人前では見せたくなかったんだ」

 俺はあんぐりとそれをしばし見つめてから、両手で自分の視界覆ってこう言った。

「きゃあっ!」