ペット仕置人

上坂 涼

  

 この世は人間中心に回っている。

 あらゆる地球生命体の中で人間が最も権力を持ち、安全と自由と幸福を保障されるように地球の資源は消費されてきた。

 そこまでは良い。生物である以上、命と縄張りを奪い、同種族の幸福と安全を追求しなければならない。種の繁栄という本能的な目的を達するために。しかしそこに罪はない。それこそが大自然の摂理なのだ。人間の明晰な頭脳を持ってして、安定的な食料を効率的に生産する技術も例外ではない。

 諸悪の根源は命の浪費である。これは人間が作り出した唾棄すべき歪みだ。

 人間の幸福向上の一環として動物をペットとして飼うようになってから摂理に歪みが生じ始めた。

 命を喰らうための家畜として豚や鳥を、遠いところへ早くたどり着くための移動手段として馬を飼うという目的があるならば良い。それぞれの動物に役割があり、その命を全うするのであれば、摂理からは外れないだろう。

 生涯を共に過ごし、確かな信頼関係を築いた上での死ならば、動物も穏やかに世を去ることが出来るはずだ。

 だが現実はそうじゃない。毎日世界のあちこちで大量の命が浪費されている。動物を愛でて幸福感を得るという行為に値札を付けて商売にしてしまったからだ。いや、厳密にはペットの命が軽い扱いを受けていることが最大の問題である。

 現在の法律だと、愛護動物をみだりに殺害した者は懲役五年以下、または五〇〇万以下の罰金。

 前述した通り、諸悪は命の浪費である。自然の摂理として、種の繁栄に関わる生殺与奪については一概には言えない。動物の尊厳について非常に繊細に取り扱われるべきである。

 だがしかし。こちらは明確に悪だと断言したい。

 ――ペットは愛護する対象なのだ。

 そんな彼らの命をみだりに奪っておいて、五年で刑が終わるというのは何事か。愛護するということは、いわば家族として迎え入れるに等しい行為である。愛すべき家族を殺害しておいて懲役五年だと? ちゃんちゃらおかしい話である。

 同族殺しは死刑までいくことがあるのに、なぜ愛護動物を死刑にならないのか。どちらも家族という意味では変わらないのに。

 もし動物はあくまで家具であり、娯楽なのだとかいう主張を通すのであれば、動物との友愛をテーマにした作品や、愛らしさをアピールするようなコマーシャル、『小さな家族を迎えませんか?』などという喧伝は一切合切廃止するべきだ。そして今後そのような主旨の制作物を発信した者は重罪を課すべきだ。

 逆に動物は愛護すべき存在であり、家族だという主張を正とするならば動物を一家族として扱う仕組みを作らなければならない。

 たとえば動物を販売しているペットショップは、購入者の情報を詳細に取得した上で、国の公的機関に提出することを法律化すべきなのだ。そして国と動物に準ずる機関が協力し、マイナンバーカードならぬ、ペットマスターカードというような代物を作り、月に一度は動物病院に定期検診を行かなければならないようにすべきである。

 年々、動物を愛する者ならびに動物愛護団体の弛まぬ努力により殺処分数が減少傾向にあるとはいえ、それでもまだまだ多いのが現状だ。昨今のペットは家族ではなく、幸福感を得るためのアイテムとして認識されているのは想像にたやすい。

 愛護動物に経済的価値を付加し、商品として一般層に販売する仕組みが杜撰なものになっているから、無駄に大量生産され、売れ残った動物が処理場へ送られる。アイテムだと勘違いした飼い主に命を弄ばれる。

 これを唾棄すべき歪みと呼ばずして、なんと呼べば良いのか。 動物を巡る経済システムに生じている欠陥から目を逸らしておきながら、利益の損失と職の安定が危ぶまれるなどという言い訳を許してはならない。

 早急に世界中のペットショップは完全受注制に変更するべきだ。動物を飼いたい顧客からの依頼があって初めて動物を用意するのである。「流通がー」とか「収益がー」とか「失業させる気かー」とか言っている輩はもれなく、命を浪費する犯罪者という認識で差し支えないので、猟銃で撃ち殺してしまってよろしい。

 無機物を取り扱っている業界を比較対象にするのもどうかと思うが、分かりやすい例かと思うので述べさせてもらいたい。

 世界中の情報伝達を牛耳る通信サービス業界はそこらへんを上手にやっている。スマートフォン端末を完全受注制に変更したところで業績に影響は出ないだろう。なぜなら彼らの商売は、端末を売った後からが本番だからだ。通信サービスを維持するための料金を毎月徴収し、契約した者だけに更なるサービスを提供する便利プランを様々用意している。

 動物を巡る経済システムも存分に他業界のノウハウを参考にして生き残りをかけて努力するべきである。もし今の歪みにしがみつかなれば食っていけないというのであれば、そもそも商売として成り立たないビジネスなので潔く店を畳むのが吉だ。もしそれでも反論をしてくる輩がいるのであれば、これまた命を浪費する犯罪者という認識で差し支えないので、同じ輩を一カ所に集めて二酸化炭素で窒息死させてしまってよろしい。

 さて。これまで私が述べてきたことは、もちろん私の勝手な言い分である。取るに足らない戯れ言である。私の知らないやむを得ない事情というものがいくつも存在していることだろう。

 きっと有識者らによる高尚な議論が日夜繰り広げられ、今この時もより良い方向に進むように努力されているのだろうと思う。

 そしていつしか愛護動物と人間が誰にも恥じることなく胸を張って日々を幸せに過ごすことが出来るような理想的な世界が実現するのだろう。

 ――だが。この怒りは。このやるせなさは。もはや抑えられそうにない。

 かつて両親とともにペットショップへ行った時のことだ。

 私はくるっとした茶色の毛並みが愛らしい犬に一目惚れし、親にねだった。しかしその犬は人気種かつ血統書付きの純血種とのことで、値段が四〇万以上だった。

 すると両親は何者かに取り憑かれたように「別のにしないか?」、「ほら、これも可愛いわよ」と私にまくしたてた。

 気持ちが悪くなった。迎え入れる家族という体の存在に値段を付けていることも。値段に一喜一憂し、他の商品を勧めるような言葉を言い放つ両親も、それが今まで当たり前だと思っていた自分にも。

 だが私に怒りとやるせなさの炎を灯したのはそれから少し経ってからだった。

 私はあの日以来、連日のように一目惚れした犬の様子を眺めにペットショップへ足を運んでいた。

 そして半年くらい経った頃だろうか。犬の値段が最終的に半額になっていた。私は子供心ながらに胸騒ぎを覚えた。

 スーパーなどで商品に半額シールが貼られるということ……それすなわち。

 私は不安になって、犬の値段が半額になってからはペットショップが閉店するまで居座るようになっていた。

 そしてさらに一月経った頃のこと。

 犬がケージから姿を消した。昨日閉店するまではいたから、今日店に来るまでの間で誰かに飼われた……? 

 そうは言っても今日は土曜日。まだ開店してから一時間しか経っていない。

 私はショップ店員にあの犬がどうなったのか聞いてみた。すると店員は「……お母さんかお父さんは?」と言葉を濁すように愛想笑いを浮かべるだけだった。

 私はインターネットを使ってペットショップで売れ残ってしまった動物がどうなってしまうのか徹底的に調べた。もちろんその後についてもだ。

 その時、私の中で黒い炎が灯った。ちりちりと心が削られて積もった気持ちが燃料となって、苦しそうに身をよじって燃え続ける黒い炎。

 歪みの中に生活を見いだして暮らす人々の幸福を守るため、今日も命が浪費されていく。

 だが全ては仕方のないこと。それは頭では分かっている。私が今から国のトップに躍り出て、生類憐れみの令を定めるわけでもなし。どうしたって己の無力さで身を焦がしながら生きていくしかないのだ。

 なぜ私がこんなにも攻撃的かつ自虐的なのかというと、それは今朝見た夢に起因している。その夢の内容はこうだ。

 檻を食い破り、保健所から飛び出してきた無数の動物達が、朝日の照らすアスファルトに降り立った。地面に這いつくばっているかのような視点でいる私は、太陽を見上げている彼らの雄々しい後ろ姿を眺めていた。

 すると逞しい四脚を地に付けたハスキー犬が私に振り返り、こう言ったのだ。

「さあ。今こそ逆襲の時だ」

 ハスキー犬はたちまち遠吠えをあげて、都心へと突っ走っていく。他の動物達も各々の叫声をあげて、彼の後に続いていく。

 彼はなぜ私に一言そう言ったのか。まさか私にも付いてこいとでも言うのか。共に命を浪費する者どもに正義の鉄槌を振りかざせと?

 そんなこと無理に決まっている。私だって命は惜しい。社会のはみ出し者にもなりたくはない。

 ごめん。ごめんなさい。

 私は夢で会った彼に何度目か分からない謝罪の言葉を紡いだ。

 世界は少しずつ改善され始めている。けれど、それでも、改善をしている最中にも命を落とす動物達が確かに存在しているのだ。

 人間の都合でこの世に産み落とされ、椅子取り競争に負ければ死刑が待っている。いったい彼らが何をしたというのか。誰に危害を加えたというのか。必要なくなったからと殺していい家族などいるはずもない。この世界は狂っている。

 今の私は、私が出来る限りの最大限を発揮して動物達のためになる取り組みをして来れているだろうか。私の姿は彼らにとってどう映っているのだろう。命を奪う死神か、命を救う天使か。はたまた命を弄ぶ悪魔か。

 少なくとも私自身はこう思っている。

 ――人間の依頼を受け、罪のない彼らに仕置を加える者。さしずめ、ペット仕置人といったところか。

 私は自虐的な笑みを浮かべながら、国の行政機関の一つである職場への道を急いだ。